/ペリカン

もう何年前のことになるだろうか、わたしはテレビでペリカンのドキュメンタリーを見た。「カッタ君」とよばれていたそのペリカンが園児のように幼稚園に通う姿は、何とも微笑ましいものであった。

「彼」は、捨てられていた鏡に写った自分自身に求愛行動をしていた。映像に残る懸命なその姿は愚かでそして悲しい。それは自身の本来の群れに適合できていない、はぐれものだった。園児のひとりであるかのような彼の面白い振舞いも、邪気の無い園児との交流も、はぐれものとして見ると悲しく見えた。

わたしが見た番組は、「彼」が周りの人間の助けも借り、なんとか本来の群れに戻っていく姿で終わっていた。確かやや年上の嫁さんを手に入れたと記憶している。お別れの挨拶だったのか、幼稚園の上を旋回する彼の姿と、園児の歌うミックスジュースの歌。わたしはそれを見ながら、ひとりで泣いた。

最近「彼」の訃報を聞いた。長生きするペリカンとしては早死にというのは残念だったが、孫にも恵まれた、ということを知った。とすると、「彼」は結局、本来の自然に戻れたのだろうか?それとも何とか自分自身に折り合いを付けることができたのだろうか?わたしも家庭を持てたことでもあるし、「彼」が幸福であったと思いたい。

「彼」の周囲の助力に、こころからの敬意を。