彷徨える舌/理解ということ

わたしの場合、新しいなにかを学ぶとき、沢山の教科書を読む必要がある。
本質をつくような、美しいセンテンスに出会わないと、なかなか理解できないのだ。

ひとつの本を深く読む、という手はなかなか飽きっぽい性格なのでできない。
いまさら認めたくないが、自分はどうやら理解力はあまり高くないらしい。
たくさん読んだ上で、手を動かすとようやく理解できる。経験ばかりを重視する人間はなんとなく嫌だが、自分が学習するときは、経験を重視しているような気もする。

理解が急に進んでいるように感じる瞬間、はとても楽しい。
経験から得たなにかと、テキストがつながるとき。
自分なりの曖昧な考えが、最新の論文でより深く洞察されているとき。

たとえそれが、家の近所で迷っている子供ような、端から見たらレベルの低いものであったとしても。

できうるなら、いつまでも学び続けることができる仕事をしていたい。